神奈川県の大船にある大河内メンタルクリニックのサイトです。

断片集

1.子育てについて
2.患者さんは先生です
3.騎手と馬
4.病気がなかなか良くならないのは何故ですか?
5.引き受ける精神-1
6.引き受ける精神-2(雄雄しさと女々しさ)
7.引き受ける精神ー3(死にたがるあなたへ)
8.白い満足、黒い満足-1
9.「頑張る」ということ

断片集-その8

■白い満足,黒い満足-1

満足感と安全(安心)感の追求は,動物一般に共通します。それは生きていく上で不可欠のもので,本能的な欲動に基づきます。

動物の行動は本能的で,従って身体的な行動に終始します。動物は欲求が生じたときに,あるいは危険が迫ったときに行動し,後は寝そべるなり,ぶらぶらするなりして過ごしているように見えます。哲学者のショーペンハウエルは,動物が目の前のことにだけ関わりを持つ傾向を称して,直前存在といっています。

動物の中で人間だけが本能的な行動にとどまらず,精神的な満足を追求します。その拠り所となるのが自我と呼ばれているものです。人間を特徴づけ,人と動物とを分けるのがこの自我です。

何であれ,行動をするときには意志が働きます。意志は心の親(自我)が計画を立て,それに呼応する心の子と協調して成立します。心の子は,親の呼びかけに応じて無意識の海から生まれる欲動ないしは欲求です。

自我には心の頭としてのエネルギーはありますが,実際に行動を進めるエネルギーは持っていません。行動するエネルギーは,そのたびに無意識の海から呼び出すことになります。心の親と子の関係は騎手と馬のそれに似ています。

心の親には,呼びかけに応じて生まれてきた心の子に責任があります。この子は無意識から生まれてきたばかりの自然のものですから,大変傷つき易いのです。親は一定の計画に基づいた行為をしているあいだ,この心の子を護り通せるかどうかが問題になります。

どのようにして護るかといえば,現在の行動(行為)を共にしてくれているものへ感謝の念を持ち,それを喜べることによってです。

行為ないしは行動は意志に基づき,必ず目標を持っています。その目標へ向っていくということは,大きいか小さいかは別として,希望に向っていくということに他なりません。そうでなければ行動への意欲が湧きようがないのです。意欲があるかぎり,それは希望に向っている以外の何ものでもありません。

たとえば身体に異変を感じて病院へ行くときに,何か悪い病気が予感されると,希望など,かけらほども見えないかもしれません。

しかし希望が皆無であれば,行動することができるものではありません。病気の性格を知り,治りたい希望が根底になければ病院に行く気になることはないでしょう。

何か行動をするときには必ず目的があり,希望がありますが,理想をいえば一直線にその目標へ突き進みたいのは山々でしょう。病院に一刻も早く着き,理想的な人格と技量とを備えた医師に出会い,納得のいく治療をしてもらいたい,そう思うのが人情というものです。

ところが道路が渋滞する,応対した受付の人が気が利かない,長々と待たされる,ようやく診てくれた医師がなんだか頼りないなどなど,目標はさまざまな障害に行く手を阻まれます。怒りや不安や不満で一杯になれば,希望などはかけらもないことになります。

しかしそれは行動の裏に目的,希望がなかった理由にはなりません。不安に圧倒されている自我が,行動の協働者である心の子を護れなかった姿なのです。

満足には白いものと黒いものとがあります。

食事を例にとると,気の知れた仲間と楽しむ食事は白い満足です。そして過食症者の過食は黒い満足です。白い満足としての食事は,心の親である自我に活気があります。その親に呼び出された心の子である欲動も活力を発揮します。活気のある親の下では力を出し,無気力な親の下では力を出さず,親しだいで子の活力が変わります。(格闘技の選手が,試合前に顔や手足を叩いて気合を入れているのは,心の親のやる気を心の子に伝えようとしているのです)

心の親と子の役割分担は,前者が社会性や精神性にあり,後者は身体性にあります。両者は一体となって機能するので,明確に区別をつけるわけにはいかないでしょうが。

白い満足である食事は,人と共に分かち合うことができる満足で,つまり社会性があります。このとき心の子は,味覚や嗅覚,視覚などを動員して満足感の舞台裏を支えます。

一方,過食に耽っている人は,その姿を人に見せたくないと強く思っています。そして太っているので人前に出たくないと考えるものです。たとえ客観的には肥満していると見えなくても,過食症者は太っていて醜いと大変気にします。

人目を忍ぶ過食に社会性がないのは,自我の関与がないからです。自我は機能不全に陥っているのです。自我に拠るのが人間であり,自我は社会性や精神性を追求する拠り所でもあるので,身体的な満足に偏る過食は動物に類似した姿といえ,屈辱的なのです。太っていて醜いと考える本当の理由はここにあります。過食は精神的に満たされていないことと大いに関係があり(自我の機能不全化と黒い子をおびただしく作り出すこととの間には,相関関係があります。黒い子たちの支配を受けている自我は白い満足を得るのが困難で,黒い子が傀儡化した自我を無視して黒い満足を取りに行きます),黒い満足の一つである過食は刹那的な満足は得られても,精神性を欠いているためにいくら食べても満たされることがありません。それどころか自我が不甲斐ないと,繰り返し,改めて後悔する理由になり果てしない悪循環に陥ります。

一方で,逆にいえば精神性や社会性が身についている人であれば,少々太っていても自分が病的に醜いとは思わないものです。

’05/10/26

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