神奈川県の大船にある大河内メンタルクリニックのサイトです。

断片集

1.子育てについて
2.患者さんは先生です
3.騎手と馬
4.病気がなかなか良くならないのは何故ですか?
5.引き受ける精神-1
6.引き受ける精神-2(雄雄しさと女々しさ)
7.引き受ける精神ー3(死にたがるあなたへ)
8.白い満足、黒い満足-1
9.「頑張る」ということ

断片集-その6

■引き受ける精神-2 (雄雄しさと女々しさ)

「雄雄しさと女々しさ」というのは,いささか気になる言葉です。男は立派で,女はそうではないといっているように聞こえるからです。この言葉は男についていっているようです。女について,こういういい方はあまりしないようです。これらの語感のあいだには,明らかに価値の上下があるように思われるので,言葉の由来を知りたいと思いました。しかし私が調べたかぎり,ある辞書に,「雄雄しさらしいこと」,「女々しさは女らしいこと」と書いてあっただけです。

いずれにせよ,雄雄しさは男があるべき立派な態度であり,女々しさは男としては情けない態度ということになるのでしょうか。

ちなみに英語では,例えば,HeisAneffeminAtefellow(女々しい男だ),Don’tbewomAn!(女々しい真似をするな)などというようです。やはり男が優位に立った表現です。

このいい方は女性蔑視の姿勢から出たものと取られても仕方がないようですが,ここではそのことを問題にしようというのではありません。

これらの言葉を私流に言い換えれば,雄雄しさとは引き受ける精神であり,女々しさは引き受けない精神ということになります。そのように捉えると,雄雄しさと女々しさとは重要な意味を持ちます。引き受ける精神(雄雄しい精神)は心の病気から最も遠く,引き受けない精神(女々しい精神)は最も近いといえるからです。

60代のある女性,Aさんは10年以上にわたって頭痛に苦しんできました。頭が鉛を詰め込んだように絶えず重く,しばしば蒲団針で刺されるような鋭い痛みに見舞われます。このときはのた打ち回るほどといいます。脳外科や神経内科などで診てもらいましたが,異常はありません。

発端は交通事故だったようです。10年以上も前に受けた事故ですが,*年*月*日*時ごろに,と具体的に記憶しております。加害者は20歳未満の女性でした。「相手はまだ子供だし」と自分に言い聞かせて,示談に応じたそうです。しかし訊いてみると,「こんな身体にされて・・・家族も台無しにされた・・・考えるとはらわたが煮えくり返るほど・・・」といいます。

10年経っても昨日のことのように被害者意識が残っています。そして激しい怒りが一向に収まらず,心内を駆け巡っていたといういきさつがありました。

Aさんは,そういう問題が頭痛の素であったとは夢にも思いませんでした。そして,そこに理解がおよんだときから,痛みがうすらいでいきました。

Aさんは被害者です。Aさんが考えていたように,「こんな目に遭わなければ何事もなかった」のはある意味ではその通りです。しかしAさんの問題は,女々しさ(引き受けない精神)にありました。それが向けようのない怒りがいつまでも収まらなかった主因です。Aさんの怒りが本格的に加害者に向かえば,自分が蒙ったのとおなじ目に合わせなければならなかったでしょう。しかし目には目をという行為は,社会的人格を備えているAさんにはしてはならないことでした。

それでは怒りはどのように扱われるべきだったのでしょう?加害者に向けるわけにはいかないとすれば,いわば怒りの引き受け手がなく,Aさん自身の心の中をいつまでも駆け巡るしかありません。実際にそうなっていました。怒りはAさん自身が引き受けなければならなかったのです。

しかし怒っているのがAさんなら,それを引き受けるのもAさんというのは,どういうことでしょうか。

これは心が多重構造であることを示唆している問題です。Aさんは一人であって,一人ではありません。

これが動物であれば,話は単純です。危害を蒙れば生きるか死ぬかの戦いになるか,尻尾を巻いて逃げるかだけです。恐怖心を持つ動物はあっても,いつまでも怒っている動物はおそらくないでしょう。

動物と人間の違いは精神性の有無にあります。そして精神性の拠り所は自我にあります。自我こそ,引き受ける精神を本分としています。自我は自分にふりかかる一切を引き受ける役目を持っています。

Aさんに即していえば,怒りは自我よりも深い心の層である無意識から発しています。自分に危害が及んで,差し当たりは怒るのが当然です。それは無意識の世界からの本能を含んだ反応です。その怒りを自我が引き受けなければ,場合によっては犯罪にもなるでしょう。しかし自我が引き受けるならば,それは潔く,雄雄しいことです。災厄をものともしない潔さは,文字通り,災いを転じて福となすことになります。

身体性と精神性とを併せ持つ人間は,結局は精神性が問われるのです。ただし身体的な欲求にも耳を貸さなければならず,心身の問題の葛藤に大いに悩むべきです。その中から自分の力で精神の勝利を生み出すことが重要です。そうでなければ精神性の問題は,上からの説教が胡散臭く,偽善的に感じられる素にもなるものです。

‘05/09/07

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